tomtomよ、そう若さにこだわるな。
さてさて、今年は三十路である。
20代も残り4ヶ月あまり、
まぁ、20代は色々あった。
色々あったが、そんなことは置いといて、
今日は「年齢」をテーマにしてみよう。
早速だが、
若いって、そんなに良いものか?
私は、正直、若さに対して未練は微塵もない。
若い時は、若いとは何かと得のような気がした時期もあった。
が、三十路を迎えようとする今、
若いって、「若さ」以外、別に良さがないのでは?
と思ったりする。
若ければ、何かに失敗してもやり直しがきく幅が広いし、
無知が通るというのも確かだろう。
しっかしだ。
だからといって、いつまでも若くては、これもこれでつまらなそうである。
年齢と共に経験を重ね、
実感が湧かなかった言葉の意味が心でわかるようになり、
大切な物が増え、また、失くす経験もし、
物事には表と裏があることを否めなくなり、
裏と表だけじゃ済まされない多面性が見え、
舞い上がったり、へこんだり、静かに激しいという感情に襲われたり・・・
そんな、ありとあらゆることが我が身に降り注いだ年数が年齢だと
思うわけである。
だから、年齢を重ねるにつれて、その人をあらわす言葉も形も
複雑になるだろう。
それこそが、そのそれぞれの独特な形こそが、その人間の魅力だと
思う。
若さというのは、どうも「若い」というひと言でひとくくりにされているように
感じる。
肌がピンピンしていて、どんなミニスカートもホットパンツも若さゆえに
似合っても、それは、それだけである。
どうしたって、肌は衰えてくるし、身体にもこれから変化があるだろう。
しかし、それで良いのである。
無論、努力は必要である。
肌をキレイに保ち、体力をつけ、躾の行き届いた人間になる努力は
周りに生き生きした印象を与えると思う。
そして、全く同時に、
人生と生活に目標とやりがいを見出す目も、「若い」うちにしてきた
経験から肥えてくる。
つまり、中身勝負が本格的になってくるのは、「若く」なくなってから
だと思うわけである。
そういう意味で、これからの30年は楽しみである。
若かった今までの30年よりも、ずっと充実すると思う。
60を超えてからのことは、ちょっと想像つけられんが・・・。
偉そうに長々と書いたが、
これを
年齢相応に見られることの少なかった私のヒガミだと思われても、
今でも6歳年上の夫より年上に見られることがある私の言い訳だと思われても、
それはそれで、いいじゃないか。
偉そうに、長々と書いたが、
そんなことより
黙って衰えた体力と失った筋肉を取り戻す努力をするべきだなぁ。